浜田真由のリオ五輪が終わった。「金メダルだけを目指す」「テコンドーをたくさんの人に知ってもらいたい」。そう公言し、自分に言い聞かせてきたなかでの準々決勝(2回戦)敗退。「もう少し長く、試合がしたかった」。彼女の悔し涙を見たのは初めてだった。
その涙を見ながら、浜田が女子57㌔級の15人のライバルたちだけでなく、彼女にしかわからない、孤独や重圧と戦っていたのではないか、と感じた。頂上を目指す中腹で、重い荷物を降ろしたような、脱力の涙にも思えた。
浜田がエジプトのヘダヤに、ゴールデンポイントで敗れた日、バドミントンのタカマツペア(高橋礼華・松友美佐紀組)は、女子ダブルスで、互いに助け合い、日本バドミントンに初の金メダルをもたらした。
テコンドー会場の隣にあるレスリング会場では、吉田沙保里の五輪4連覇が途絶えた直後、敵討ちと言わんばかりに、吉田の志学館大の後輩、川井梨紗子が女子レスリング4つ目の金メダルをつかみとった。
今大会、メダルラッシュにわいたレスリングや柔道のように、浜田にはリオで支え合い、励まし合える仲間はいない。テコンドー日本代表はひとりぼっちだ。
高校時代から全日本選手権で5連覇している浜田の実力は飛び抜けていて、国内に高め合う練習相手もいない。
生まれ育った佐賀での練習にこだわるのは、師匠の古賀剛コーチの存在が大きいが、「ライバル」という一つ上の兄康弘さんと、一つ下の弟一誓さんが練習相手としてそばにいてくれるからだ。
拠点は古賀コーチが主に子どもたちにテコンドー教室を開くために、佐賀市内に月15万円で借りている田んぼの真ん中の倉庫だ。浜田はそこからはい上がり、昨年の世界選手権を制した。最近まで看板もついていなかった、世界女王の練習環境は、あまりにつつましい。
そんな孤独なファイターには2カ月前、リオ出場も危ぶまれるような「事件」も起きていた。
練習相手を求め、今年2度目の韓国合宿に出向いた時だ。実戦練習中に相手の払うような蹴りが、浜田の右手小指を強打した。
鮮血が散ったという。我慢強い浜田は相手に失礼にならないようにと、2分のラウンドを最後までこなした。改めて指を見ると、軟骨が皮膚を突き破り、とび出していた。
即刻帰国。佐賀の病院で手術した。パンチを繰り出す右手の感覚がない。数針縫う大けがだった。
NHKの「アスリートの魂」のクルーが一部始終を撮影していたが、その部分はカットして、と頼んだ。対戦相手に弱みを見せるわけにいかなかった。報道陣にもけがは伏せた。韓国で合宿を続けていることにして、実際は佐賀の実家に3週間、こもりきりだった。
古賀コーチは言う。「あのけがのあとの時間をポジティブにとらえて、結果としてはうまく使えた」。けがの前から下降気味だった体調を一度リセットし、思い切って休養に充てた。そしてなにより、実家のある佐賀に戻り、孤独を忘れられる家族の愛情にたっぷり浸る時間が持てた。
「これまでの大会で体の状態は一番よかった」。浜田は試合後にも繰り返したが、相手の蹴りを再三ガードした右手小指は、リオの戦いを終えても腫れていた。けがの影響はゼロではなかったはずだが、心を折ることなく、たった一人、マットの上で耐えた。
4年後の東京。浜田がこのリオで背負った「荷物」を、分かち合える存在は出てくるだろうか。世界女王・浜田の存在を脅かすぐらいの、新星は出てくるだろうか。世界から熱視線が注がれ始めたテコンドーが、日本でも「マイナー」を脱して、存在感を発揮できるだろうか。
期待を一身に背負った浜田の悔し涙に、国内にいる選手も、指導者も、協会も、テコンドーを伝える記者たちも、目を覚まさなければならない、と感じた。(リオデジャネイロ=朝日新聞スポーツ部・原田亜紀夫)